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​音楽の広場

春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
花が咲く 花が咲く どこに咲く
・・・・  
鳥が鳴く 鳥が鳴く どこでなく
・・・・ 野でも鳴く

唱歌はとても可愛らしく、思わず笑顔になります。
歌は人を幸せな気分にさせますね。

​団員の声

第3回演奏会に向けて実行委員会 
<リーダ TE 2017.01.03記>

2017年の年頭です。・・・今年の暮れには第3回演奏会を予定している、そんな1年になります。

会場である「杜のホールはしもと」に500名を超えるお客様をお迎えして、心に届く響きで日頃の研鑽の成果を表現したいものです。・・・新年の初夢風に申せば、『静かにmp(メッゾピアノ)で歌っているのに、何故か、優しい響きがホール2階席の奥まで届いて帰って来るし、大事な所でf(フォルテ)で声を揃えると、ホール全体が共鳴して呉れて、お客様が、その響きに「オーッ」と反応して下さるのがステージで感じられる』。・・・組曲などの締めの曲で、こういう具合に行けば、演奏者である我々も、思わずウルッとなりそうな予感です。

大勢の聴衆の前で、自信を持って歌えるようになる事を励みにして、日頃、遠藤先生がご指導されている点を、1年かけて 一段と磨けば、Dreams come trueかなと思います。
・・・演奏会の狙いを、この辺りに置きたいです!。

聴いて下さった方々の何人かが、我々の練習に参加したい、と思われたら、もっと嬉しいですね!。
皆んなで力を合わせて色々と準備して、今年の12月10日を迎えましょう。

・・・以上、実行委員会リーダーの願いを述べました。

オールドが頑張る ”私の地域 音楽活動” &
   冒頭の絵「 懐かしい歌、心に蘇る絵の世界 」の紹介
<テノール YY 2016.05.23記>

私は地元の自治会を中心に、友人と協力して「歌の会」活動を行なっています。地元住民の皆さんと「歌の楽しみ」を通しての知り合い作り、地域のコミュニケーション増進をはかるためです。参加者を募り、地元の小学校元音楽教諭のご協力を頂きながら、主に童謡・唱歌を中心にユニゾンで歌って参りました。

開始5年目を迎え、20人程の会員になりました。高齢者が多いのですが、様々に繋がりが広がってくれているようです。
仲間の一人が老人会で歌った際に、その参加者から、普段、家に閉じこもりがちで、一人で口もきかない状況もあるため、歌を歌うことは楽しく、いいと話されていたとの事でした。
「そよ風」で練習していることが、とても力になっています。

最近、「歌の会」の女性会員から小冊子「うたのえほん=日本のうた2」をいただきました。
今回が2冊目で、歌詞とそれにふさわしい絵を添えて10曲分を本にまとめたものです。
作者のお話しでは幼稚園などにも配っているそうです。

手にとってページを次々にめくってみました。そこに描かれている懐かしい歌詞と心温まる安らぎの風景は、微笑ましく可愛らしく、思わず、にこっと笑顔になります。

その内の1枚を絵の作者のご了解を得て、HPで紹介させていただきます。「春が来た」の小学校唱歌に合わせて描いたものです。今回、HPの担当者から、ご助言をいただき冒頭の絵をHPで紹介させて頂く事になりました。

何故に、隣り町から「そよ風」に?
<テノール YY 2016.05.22記>

私が「そよ風」を知ったのは、第2回演奏会をHPで知りS団長の紹介を得たからです。 その前には、地元の混声合唱団を4~5団体ほど訪ねました。しかし、殆どがクラシック宗教曲を主にした団体でした。 「そよ風」は様々な曲を幅広く選曲していると思えましたので少し遠方の合唱団でしたが、S団長の了解で見学し、入会させていただきました。

私自身は声が細く、勢いが弱いため苦労していますが、毎回の発声練習のおかげで少しずつ改善されて来ているように思えるのはうれしいです。お腹の調子が大事ですね。 「そよ風」は、個人レッスンを受けている団員もいるので団全体をリードしてくれているように思えます。

また、ピアノや他の楽器演奏もできる人、独唱ができる人、語学が 達者な人、いつも笑いを広げてくれる人、公民館活動で幅広い人材・繋がりから団運営に貢献してくれている人、楽譜や練習曲で技術的支援に貢献してくれている人、頻繁に旅行してその度にお土産を配って親睦に心を使ってくれている人、静かでおとなしいけれど、しっかりと団運営を支えてくれている人、等々、みんな多彩な方々たちです。

練習は、開始当初は難しいと思える曲でも先生の熱心なご指導と忍耐、そして、練習を重ねるごとに歌えるようになり、ハーモニーが揃うようになってくると本当にうれしいものです。 楽しく、素晴らしいと感じます。やはり練習していて良かったと思います。一に練習、二に練習、三に練習が大事ですので、私は出来るだけ欠席しないように心がけています。 今後とも、足腰と脳が動ける間は合唱を楽しみにしたいと思います。今後もよろしくお願いいたします。​

演奏会と私
<アルト YY 2015.07.11記>

私が入団した半年後に、2004年の第1回演奏会が開催されました。 合唱未経験者がいきなり飛び込んだ世界は、発表会を控えて…そよ風というより暴風雨の真っただ中…でした。皆さんの中で必死にあがきながら練習を致しました。 そして何とか演奏会の最後の曲を歌い終えた瞬間、安堵感と合唱(歌)って楽しいものだとの思いが残りました。

演奏会から暫くして、以前から入退院を繰り返していた父が倒れたという知らせがあり、駆け付けた病院のベッドには、人工呼吸器を付けた父がいました。 東北の晩秋から冬へと季節の移り変わりの中、入院先の病院、その後の葬儀にと駆け付ける自分を支えてくれていたのは、その当時 そよ風で練習していた曲でした。

2010年の第2回演奏会は、合唱のことが多少は解ってきたのかな?…という時期でした。 歌う事だけではなく、演奏会の係の仕事もさせてもらいましたので、第1回目に比べて、達成感・満足感が大きく残りました。
しかし、まさかの半年後の2011年3月…思ってもみなかった、あの大災害が来ました。…東北地方に地震・津波・原発事故が次々と襲ってくる衝撃的な映像…に、何もできず、ただ涙を流す事しかできなかった状況でした。

そして、今年2015年9月に「ジョイントコンサート2015」が開催されます。縁あってクール・ロゼ、コール虹との合同演奏会となります。以前から女声合唱(コール虹)にも参加していますので、掛け持ちで大変です。
現在、そよ風は「フォーレのレクイエム」の練習に入っています。天国に行ってしまった父や、郷里・東北地方の大震災で亡くなった方たちに、この“レクイエム”の歌声が届くようにと、練習に励んでいます。 当日は心を込めて歌いたいと思っています。

第2回演奏会の思い出2009年度~2010年度
<団長 MS 2011.01.03記>

混声合唱団そよ風は2010年9月に、第2回演奏会を杜のホールで開きました。 この為に、約一年前から発表曲の練習を開始すると共に、並行して全員が諸々の役割分担を行い、練習と準備に力を注ぎました。発表会当日は開場前から多数のお客様が 並んで下さり、535席のホールは次第に埋め尽くされていき、一同は安堵と緊張感に包まれていきました。

曲目はポピュラー曲から始まり、休憩を挟んで、星野富弘作詞・新実徳英作曲による合唱組曲「花に寄せて」となる構成です。この「花に寄せて」を歌うにあたっては、 5月に希望者を募り、「星野富弘美術館」へのバスツァーを行い、作詞者の想いと、作詞の出来上がった過程の一端に触れて参りました。また、「花に寄せて」に触れて 感動と共感を覚えた新実徳英による作曲の心にも触れる事が出来たらとの願いを深めました。

この組曲は、そよ風の指導者である遠藤先生(伊藤先生)が、以前から温められてきたもので、今回のそよ風の演奏会で実現化されようとしてご提案をされたのです。 よき指導者の下での練習の日々が始まり、遅ればせながらの我々の思いも募っていき、この日を迎えました。発表会当日のステージには鉢植えの花も飾りました。

星野富弘氏が口に筆をくわえて書いた絵や詩には、自然・花・木・母に対する想いなどが深く込められています。歌っていると涙が出てくる事もあります。そんな気持 ちが聴きに来られた皆様方に少しでも伝えられたらと願っていました。
 
お陰様で演奏会終了後のアンケートには良かったというお褒めの言葉をいただくことができました。そして次の演奏会を期待しますという励ましのお言葉も沢山頂くこ とができました。今回、この演奏会を催した事により、我々合唱団は大きな力を得る事が出来たと確信しています。今後は皆様方のご期待に応える為に、更に一丸となっ て努力邁進して行く所存であります。

私と音楽~そよ風と私
<アルト NN 2009.06.24記>

子どもの頃から音楽が大好きで、中学高校時代は、特にクラシック音楽に興味を持ち、レコードがすり切れるほど聴き、また図書室に行っては、音楽家や音楽の歴史など音楽の本を次々に読んだものでした。それから映画音楽、ミュージカル、ポップス、民族的なもの、フォークソング、ニューミュージック等々、片っ端から聴いて、益々(ミーハーの)音楽好きになっていきました。

さて、我が子が中学に入り、学校で歌う合唱曲を聴いて、「合唱ってなんて素敵なんだろう!、そして、素晴らしい合唱曲が、なんて沢山あるのだろう!」と感動しました。生徒たちの合唱を聴くのが、とても楽しみとなりました。これが私自身の合唱との出会いでした。
やがて自分でもちょっとやってみたくなり、年末の「第九」に参加を致しました。私は、悪声で、滑舌が悪く、声量が無く、歌うことは大の苦手なのですが、大合唱なので、無謀にも飛び込みました。初めて受けた本格的な合唱練習は、毎回が驚き驚きで、難しくても興味が尽きませんでした。昔々繰り返し聴いた、かの偉大な曲を、ついに舞台で歌った時の達成感と幸福感は言いようがありませんでした。

一度合唱を味わったらもう止められません。縁あって、そよ風に入団を致しました。その頃のそよ風は、まだ小人数でしたが、プロ級の人や、経験豊富な人達がしっかりと支えていました。皆さんは私を温かく迎えて下さいました。また、当時のそよ風は、子供が中学でよく歌っていた「時の旅人」を練習していました。この曲は私の大好きな曲でしたから、自分も加わって歌える、喜び嬉しさ一杯のスタートになりました。声楽家の遠藤先生は、自ら歌って手本を示しながら、粘り強く指導をされ、ご自分の目指す合唱へと導かれる素晴らしい指導者です。
ピアニストの智子先生は、遠藤先生の曲作りをよく理解された上で、ぴったりと息を合わせた伴奏をなさいます。そして各パートが練習しやすい様に、とてもよく配慮をしてくださいます。

先生方や団員の皆さんに教えて頂いたことは計り知れず、歌った曲は数えきれない程で、いつの間にか10年目を迎えるに至りました。相変わらずの悪声です。合唱は難しく、しばしば落ち込みますが、そよ風で色んな歌を歌える楽しさは、何事にも代え難いものです。

私、救われました!!
<ソプラノ NS 2008.09.27記>

6年程前、義父母の看護と看送った後の空虚感等々のストレスで、私は今より6kgも太っていました。家族には愚痴もこぼさないでいましたが、溜まるストレスに、壁に空の巾着袋を投げつけた事もありました。顔も歪んで声も失いかけていました。

ある日、友人に誘われて、練習中の当合唱団を見学に訪れました。その時、私の耳に飛び込んできたのは、混声の迫力ある歌声でした。(女声合唱団の経験はあったのですが・・・。)また、思いっきり身体を使って訓練をされている様子も窺われて、この様な情景に大きな魅力を感じました。そして、今の自分の心が必要としているものが、ここで得られるのではないかと思い始めました。暫くして、入団を決意致しました。

この様な中に身をおいてから、気持ちに余裕が生まれ始めました。そして、「フォルテが出来て初めてピアニシモが出せる様になる」とか「歌うことでしかつかない筋肉がある」等々教わり、私も見よう見まねで皆さんに近づこうと考え始めました。
入団して何ヶ月か経った頃、汗をかける様になった自分に気付きました。体重も少し減り始め、笑顔も増え始め、精神的にも解放されつつある事を実感する様になって行きました。

そして今、有り難いことに、先生のご指導の下で発声法を学び、素人の私が、いつの間にかオペラのアリアの魅力に引き込まれ、思いもよらず3オクターブの音域が出せる様になりました。先生のご指導の賜です。
現在、混声の音の重なり・ハーモニーを感じつつ、繊細な表現が出来る様に、自己能力の向上に努めています。
私は、共に学び合い助け合う、歌の好きな仲間に恵まれ、日々、その出会いに感謝をしています。皆さんに助けられながら、何よりもの元気を頂いています。

人は笑顔を作るだけで脳が嬉しいと感じ、リラックスすると聞いた事があります。
合唱で、意識して頬骨をあげて歌うのも効果的なのかなーとも・・・。
これからも笑顔で「そよ風」の合唱に参加をさせて頂きたいと思っています。
歌によって癒されました。「救われました!!」その一言です。

「歌」って素晴らしい、 「合唱」って素晴らしい!

目下修行中
<テノール TM 2005.05.08記>

数人で時報のミミミ ラファーと同じ音程の声を同時に出しても、「和する」訳ではないという事が、最近になって少し分かるような気がしてきた。喉の奥で声を出す人、喉を締めて発声する人、空気を出さないで音を出す人、お腹の力が抜けている人、緊張感なくボャーッ音が出る人・・・こう言う声があると、複成音がバラバラで和さないのである。

我が合唱団のレッスンは、毎回、各パート毎のこの発声練習から始める。他のパートの練習をジィーッと耳を澄まして聞いていると、少しバラケテいた音程・音質が、繰り返している内に、先生の指導のもとで、どんどん細い細い1本の糸の様に合わさって、本当に綺麗な声になって行くのが分かる。

私の属するテノール軍団は、前列3名、後列2名のメンバーから成り立っている。その内のXさんは、音質を変えると言うことで、最近まで集中攻撃を浴びていたが、突然開眼し、声の質が綺麗に澄んできた。何時も近くで歌っているのでそれが実感出来る。今度は、砲身が私の方へ・・・「喉の奥ではなく、もっと口の前で出す様に!」と、これまで指導をされてきたが、どんどんエスカレートし、最近は「テノールらしい甘い声を!」と言われて困っている。これ迄、甘い声なんて掛けて貰った経験がないから、分かんない!。同情したテノール仲間の一人が、これを聴いて参考にしたらと「世界3大テノール歌手」のテープを持って来てくれたが・・・、レベルが高すぎて・・・。 我がテノール軍団の中には、カラオケの癖でコブシが出る人、隣の人と張り合って負けじと歌う人等、人材多才だが、これが全員我を殺し協力して、綺麗な一本の糸になる事がある。この時、女性軍から盛大な拍手が出たりする。

こうして、各パートの和した澄んだ声が出来上がると、2つのパートの組合せを色々と変えて重唱を行い調整を進めて行く。そして、高低2つの音程の織りなす艶のある響きが出来上がって行く。
3年4ヶ月前に行われた公開練習を、図書館帰りに覗いた時、「よかったら一緒にどうぞ」と誘われ、芭蕉布の楽譜を貰って団員の中に入れて貰った事がある。今から思うと、丁度、テノールのエースとアルトのエースの間に入ったから堪らないのは当然だった。・・・左の耳元からテノールの、右の耳元からアルトの澄んだ声が入ってきて頭の中心でこれが合体した・・・ものだから「驚きタマゲタ!」。そして、これを聞きたくて、即入団を決意した訳なんだ。

2色の音でさえ、これなのに、当合唱団は混声4部、しかも、ソプラノ、アルト、テノール、バスがそれぞれ2つに分かれているから、計8パートになる計算。

この8種類の声を聞き分けるのだから、うちの指揮者は「和を以て貴しとなす」の聖徳太子である。この8種類の声が見事に和した時は、うちの聖徳太子も「ブルッ、ブルッ」と身震いすると言っています。

これが中々出ないんだよねー。必ず入れ替わり、立ち替わり、何処かのグループがトチルんだから・・・アー・・・、・・・モォー・・・、修行!、修行!!。

愛唱され続けた唱歌
<テノール TM 2005.05.08記>

この3月の総会後の納会で、お酒の酔いが程よく進んだ頃に、煽てられた私が指揮者となって、唱歌「若葉」「どこかで春が」「紅葉」を皆で合唱した事がある。むろん、結果は散々だった。3拍子と4拍子を間違えたりして・・・。それが契機?となったのか?、唱歌と言うものに興味が湧いてきて、ちょっと調べてみたくなった。

義務教育で誰もが歌う唱歌は、その時代背景に当然ながら影響を受けよう。特に近代の日本は明治維新から大正デモクラシー、昭和の軍部の台頭、そして戦争、終戦、アメリカの占領下、民主主義と経済発展、バブル崩壊と非常に目まぐるしかった。
この中でずうーっと音楽教科書の中に残り続けた曲が果たして存在するのか?。それを調べようと思ったのである。

資料集めを行い、明治末の「尋常小学唱歌」、大正14年の「満州小学唱歌」、昭和16年の「国民学校唱歌」、終戦直後の「1~6年生の音楽」、昭末~平初の「小学音楽」、そして今年出版の「音楽のおくりもの」を含めた計6冊を入手した。これらに収められている曲を、ざーっと通算合計してみたところ836曲となった。

まず、最初の教科書にも、最後の教科書にも収められている曲があるのか否かを調べて見た。結果は、よく知っている曲が14曲も存在(下記)する事が分かった。

・日の丸の旗 ・かたつむり ・月(出た出た)・富士山   ・紅葉
・春が来た  ・茶摘み   ・虫のこゑ   ・春の小川  ・冬景色
・朧月夜   ・我は海の子 ・故郷     ・スキーの歌

成る程、成る程、「これらの曲は、時代がどう変わろうと歌い継がれてきた曲だ」と頷かれる方も多いと思います。
ところが、それは大間違いなのです。

次の調査として、この間の教科書を調べてみて唖然としたのです。

・かたつむり・故郷 → 残念ながら、「国民学校唱歌」からだけ抜けていた、
・朧月夜      → これも、戦後の「1~6年生の音楽」だけになし、
・富士山・紅葉   → 「国民学校唱歌」と「1~6年生の音楽」になし、
・  ・・・
調べが進むにつれて・・・・ どんどんと減ってゆくのです。
通して歌い続けられて来た曲はあるのか否か、だんだんと心配になって来た。が、
・・・ありました。下記5曲が残ったのです。妙な安堵感を覚えた。

・日の丸の旗(白地に赤く) ・月(出た出た月が)    ・春が来た
・春の小川         ・冬景色(さ霧消ゆる湊江の)

これらの5曲は、明治から今日までの長い道のりの全てで人々に歌われ乍ら、今も生き続けている事を再認識した次第である。前述した14曲もそれに準ずるものと思う。これらの「愛唱され続けた唱歌」に、今回、改めて親しみと懐かしさを覚えた。

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